久しぶりのブログ更新になりました。
最近は、LINEで「徒然ALLEST物語」というシリーズを全12話、書いて配信していました。
▶︎ noteにもまとめています
毎日配信していたので「ちょっとウザかったかな……」という反省もありますが(笑)、
この“物語”という形式をあえて選んだのには、明確なきっかけがあります。
動画の時代に、なぜ物語を?
確かに、今は「動画が主流」といわれています。
実際、最近リリースしたアイテムも、動画で伝えるケースが増えています。
テストマーケでも動画の反応が良いのは間違いないし、
僕自身もトレンドにあわせて地方や海外に動くことが増えてきました。
そんな中、改めて思うのが、
やっぱり、日本って、いい。
服に関わる素材や柄はもちろん、
空気、食べ物、職人技、土地ごとの文化まで——
この国の“繊細さ”って、他にない魅力だなと。
日本の繊細さの源流に、“言葉”がある?
「この感覚の細やかさは、どこから来るんだろう?」
そう問いかけていく中で、あるひとつの仮説にたどり着きました。
——もしかしたら「日本語」にこそ、その源流があるのでは?
というのも、日本語には感情や感覚を表現する語彙が圧倒的に多いんです。
同じ「きれい」や「さみしい」でも、1300語以上の感性表現があるとも言われています。
その調査と考察を、こちらのnoteにまとめました:
▶︎ 日本語の感性が、日本の美意識をつくっているのかもしれない
—
だからこそ、ALLSETの服がもつ美学や機能性を、
日本語という“余白ある言葉”で表現したかったのです。
動画では伝えきれない「余白」の力
動画は確かに、情報量が多い。
けれど、どこか“消費スピードが速すぎる”気がしています。
次から次へと流れていく映像を見ていると、
ふと「これは自分の感性で選んだものなのか?」と不安になることもある。
そんな中で、
200〜300文字でも、ちゃんと立ち止まって読める文章があれば——
読むことで「気づく」何かがあれば、
それは動画にはない“伝わり方”になるかもしれないと思ったんです。
言語化できない感覚に、そっと触れる物語を
「凛とした印象」や「ふと何かに気づかされる読後感」。
目に見えないけど、確かにそこにあるもの。
ALLSETの服にも、そうした“言葉にしきれない感覚”が宿っていると思っています。
だから、たった数百文字の物語で、
読んだ人が少し心を整えたり、静かに背筋が伸びたりするような体験を届けていけたらいいなと考えました。
AIでもなく、流行でもない、
「わたしのことば」で届ける、ブランドの姿勢として。